昭和46年4月不明     (末永信太郎)     №46-046


 ・・・相済ませんといったような答えが出て来るような生き方を身につけて行きたい。まず、調子のいわば合わせ方。ね。調子が合うたら、いわば、神心というか、ツボのいわば押さえどころというものを体得して行く。ね。そこから、教えという一つの楽譜を見ながらです、弾かせて頂くところに、良い曲、良い音色というものが生まれてくる。ね。
 これは、特に三味線には申しますね。調子がだいだい合うまでが、一稽古(でします?ち言います?)。ね。信心も、だから、そこを本気でです、そういう調子が出るところまでです、信心のけいこをさせて頂きますと、その商売なり仕事がです、ね、実に楽しい、愉快なもの。しかも、それを見る人をして、聞く人をしてです、ああ、信心生活っちゃ素晴らしいというようなものが聞いてもらえ、または、見てもらうことが出けるようなおかげが頂けれる。
 ただ、調子が狂うておってぐらいでもかまわん。ただ、お願いをして、おかげを頂く。その場その場のおかげというのは、ね、頂きゃ有り難いけれども、反対なことになったら、もう有り難いというような信心ではつまらんですからね。どうぞ。